日本のサッカー界は横浜という土地なくして語れないほど横浜を舞台に様々な歴史がありますが、そんな横浜に由来する選手たちが2019年Jリーグ開幕を待たずして引退という選択をしました。
今回は日本サッカーで横浜に由来することを書いてみようと思います。
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川口能活(横浜Fマリノス→海外→ジュビロ磐田など)
サッカーを知らない人でも知っている日本を代表するゴールキーパーだった川口能活選手は横浜Fマリノスの強固な守備陣の要だった選手
日本のゴールキーパーのプレースタイルに革命を起こした選手でした
川口能活のプレースタイル
それまでの日本のゴールキーパーはその名の通りゴールに張り付いてシュートをとめることを仕事にしていました。
しかし川口選手の登場によりペナルティエリアの外に飛び出す・ゴールキーパーから攻撃が始まるといったプレーが日本のゴールキーパーを変えました
日本がブラジルに勝ったマイアミの奇跡
日本代表はA代表ではいまだにブラジルに勝ったことはありませんが、日本が大人の戦いでブラジルに唯一勝ったことがあるのがアトランタオリンピックの「マイアミの奇跡」と言われるブラジル戦でした。
ブラジルの猛攻に対する最後の砦として立ちはだかったのは川口能活選手でした。
28本のシュートを打たれながら無失点に抑えた守備陣の要、川口選手なくしてマイアミの奇跡はなかったでしょう。
絶望的な状況からの大逆転のアジアカップ中国大会のPK戦
反日感情の高まりで毎試合激しいブーイングにさらされ、厳しい戦いが続いたアジアカップ中国大会の準々決勝ヨルダン戦は、中村俊輔、三都主アレサンドロが連続ではずしてPKで2-0という絶体絶命の状況に。
神が降りたと言われるそこから川口選手の連続セーブで大逆転するという、いまでも語り継がれるアジアカップのヨルダン戦は川口選手のプロ生活のハイライトでしょう。
フランスワールドカップ
日本が初めてワールドカップに出場したフランスワールドカップで日本代表の正守護神をつとめたのは川口能活選手でした。
全て格上の相手で全試合で攻められ続けましたが3試合を4失点で切り抜けることができたのは川口能活選手だったからでしょう。
楢崎正剛(横浜フリューゲルス→名古屋グランパス)
川口選手と双璧をなす激しい日本代表正守護神の座を争った楢崎正剛選手
Jリーグでは名古屋グランパスのイメージが強いが、実はその前は横浜フリューゲルスに所属していた
シドニーオリンピック
中田英寿選手、中村俊輔選手を要した歴代最強と言われたシドニー五輪日本代表はおしくもPK戦のすえにベスト8で姿を消しましたが、このときに鼻を折りながらも日本のゴールを守ったのが楢崎正剛選手でした
日韓ワールドカップ
日本サッカー史上初めてワールドカップの決勝トーナメントに進出した日韓ワールドカップでトルシエ監督の信頼を勝ち取り正守護神を務めたのは楢崎選手。
1点に泣いたトルコ戦でしたが、4試合を通して日本のゴールを守ったは楢崎正剛選手でした
中澤佑二(ヴェルディ川崎→横浜Fマリノス)
ブラジルでの武者修行ののちにJリーグのヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に入団し2002年に横浜Fマリノスに移籍
トルシエ監督によって見出され、ジーコジャパン、オシムジャパン、第二期岡田ジャパンなどを経験し、日本を代表するセンターバックへと成長していく。
南アフリカワールドカップでは闘莉王とセンターバックコンビを組む。
横浜Fマリノスでは長年堅守マリノスの守備を支えた
シドニーオリンピック
中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、柳沢敦、高原直泰、宮本恒靖など史上最強と言われたシドニーオリンピックでトルシエ代名詞のフラットスリーの一角を担った。
南アフリカワールドカップ
大会直前に日本代表の世代交代が一気に進んで前評判の低かった日本代表だったが、中澤・闘莉王という強固なダブルセンターバックの活躍で2回目となるベスト16に進出
最後はPKで破れるが日本代表が最もベスト8に近づいたワールドカップだった
横浜なしに今の日本サッカーは語れない
2019年も現役を続けるマンチェスターユナイテッドからチャンピオンズリーグで今でも語り継がれるゴールを決めた中村俊輔選手
フランスワールドカップ最終予選での緊急登板となり、日本初のワールドカップの監督を務め、オシム監督の急病後も2回目の日本代表監督登板などで、何度も日本を助けた岡田武史監督
横浜に由来するのは選手だけではありません。
日本サッカー界の歴史を作り、日本サッカー界を助けたということより、横浜という地なくして日本サッカーは語れないと言えるでしょう。
2019年も革新的なサッカースタイルを目指す横浜F・マリノス
そして2019年は革新的なサッカースタイルを目指している横浜F・マリノスは今後もJリーグになくてはならないクラブでしょう
関連記事⇒Jリーグ横浜F・マリノスの特徴的なサッカースタイルが噛み合ったらどうなるか?
Jリーグ唯一のクラブ消滅【横浜フリューゲルス】
最後にどうしても書いておきたいのがJリーグの唯一のクラブ消滅となったJリーグの暗黒史である横浜フリューゲルスの消滅
最終的に横浜FマリノスのFの文字で記憶からも消滅することは避けられましたが、奇跡の天皇杯優勝など、横浜フリューゲルスというクラブは横浜サッカー界だけではなく日本サッカー界としても最も感動的であり悲劇的な歴史の一つでしょう。